すっきり。ほっこり。暮らしのメモ

“ちょうどいい”暮らしを模索中。

2人育児に行き詰まったときに心に響いた詩

2人育児がスタートして2ヶ月ちかくがすぎ、疲れも少したまったことと年末のそわそわとなんだか色々たまってたのか…娘にあたり(ひどいよねぇ。すまん、娘よ…)二人して夜中に泣きました。笑


そんなときにおむつなし育児研究所の和田先生がメルマガでとても素敵な詩を教えてくれたのでシェア。



日々のやることや忙しさで立ち止まることなんてなかなかないけど、子育ての先輩たちのお話を聞くと
あぁ〜今の日々ってなんて愛おしい時間なんだろう…と思えます。



心に刻んでおきたい詩のひとつです。



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【子どもをいだく喜びにひたってほしい】
            ~三砂ちづる



いまあなたは
とてもとても忙しいだろうと思う

慣れない幼い子どもとの日々に
翻弄され

やってもやっても
やるべきことが終わらない

家の中のあれこれに
ため息をつき

まして外で仕事のひとつでもしていれば
なんで私だけが
こんなにがんばらなきゃいけないのよと
腹の一つもたち

穏やかにぐっすりと眠って
とろとろと夢を見る
ということ自体が
どこか遠い世界の出来事のように
思うのかもしれない

おむつもかえなきゃいけないし
おっぱいもあげなきゃいけないし

ちょっと大きくなってきたら
「ママ、おしっこ」
と起きてくるし

ああ、私は毎日忙しい。
ゆっくり夢を見ること自体が
「夢」

ゆっくり眠りたいだけ眠った・・・

なんて
いったいいつのことだったかしら

・・・

残念なことに
というか

幸いなことに
というか

時間というものはゆくりなく過ぎ

いま、あなたがやっているようなことは
あと数年と続かない

彼らは学校に行くようになり
あなたの知らないところで
あなたの知らないことをする時間がふえ

あなたは夜はもう少し
よく眠ることができるようになる

そうすると
朝早くから起きて
弁当のひとつも作り

子どもの外のつきあいの
後始末などもしなければ
ならなくなってくるけれど

つまりはフェイズが移る。

私はもう50をすぎている。

2人いる子どもは青年になり
文字どおり毎日どこで何をしているのやら

見上げるような青年になって
私の知らない彼らの日常は
まぶしい

この人たちは
もう私の「手の内」では
生きていないのだ

ときおり
私は夢を見る

夢の中には
子どもたち2人がよくでてくる

その彼らは
けっしていまのような
「男に育った」彼らではない

夢に出てくるのは
幼い彼らなのだ

お話ができて
自分のひざにのってくれるくらいの
子どもである彼ら

おそらくあと
50年生きても
夢の中に出てくる私の子どもは
この大きさであるに違いない

あのね
ママ
あのね

とても高い声で私を見上げ

「つまらないこと」
をいちいち聞きにきたり
報告したりする息子たち

私がしゃがまないと
彼らの視線とは合わず

抱きしめれば
腕に足り

抱き上げれば
そのまま移動できる重さ

私の手の届くところにいる
彼ら

おかあさん
いま、あなたのひざいる
お子さんのなんといとおしいことか

母として
いちばん良い時期
いちばん印象に残る時期

あなたの子どもは
いつもその大きさで
あなたの夢の中で
位置をしめ続ける

あなたが人生で
つらいことがあったとき

あなたの子どもたちは
そのような大きさで
あなたの夢にあらわれる

それが現実と交錯するいまこそが
あなたの幸いでなくて
なんであろうか

涙ぐむようにして
幼い子どもをかきいだく
喜びにひたってほしい

それは
ひとときの至福であり

長き人生のうちで
一瞬にして失われる
人生の最も美しい時間だからである



三砂ちづる
『五感を育てる・おむつなし育児』
主婦の友社)p.39より~


★ほんだすぐるさんの曲付き★
https://www.youtube.com/watch?v=KKCPmpqP1aY&feature=youtu.be